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2018.03.02

【特集】闘いの場は「修斗」に変わったが、レスリング選手としての誇りを忘れずに闘いを続けるファイターたち


(文・撮影=樋口郁夫)

 総合格闘技「修斗」。商業ベースに流されることなく競技性を追求し、30年以上の歴史を持つ老舗(しにせ)の競技団体だ。2月24日に新宿FACEで行なわれた「SHOOTO GIG TOKYO Vol.24」に、2人の元レスリング選手が出場した。

 一人はグレコローマン59kg級で世界選手権代表にもなったことのある倉本一真(31歳=修斗ジム東京)。昨年12月のトライアウト(プロ昇格テスト)を経て、この試合が実質的なデビュー戦。もう一人は42歳になった楳沢智治(AACC×SPIDER)。がんを克服してのリングだ。

 闘いの場は、マットからリングに変わったが、彼らの闘いにかける情熱は変わらない。

バック投げなどグレコローマン・テクニックを披露…倉本一真

闘いの場をマットからリングへ変えた倉本一真

 倉本は高校王者や大学王者を経て自衛隊に進み、2012~14年の全日本選手権グレコローマン60・59kg級で優勝。2013年は世界選手権60kg級では3年後のリオデジャネイロ・オリンピックで優勝することになるイスマエル・ボレロ・モリーナ(キューバ)をテクニカルフォールで下すなどして7位入賞を果たし、2015年全日本選抜選手権では前年のアジア大会王者の長谷川恒平を破るなど、グレコローマンの軽量級で世界へ飛躍した選手。

 だが、2015年12月の全日本選手権59kg級で上位入賞を逃し、リオデジャネイロ・オリンピックの道は断たれた。60kg級が最適の階級。階級区分変更で59kg級で闘うことになったが、その1kgの差が最後はきつかったと思われる。

 実績からしたら、あと4年間は自衛隊にいさせてもらうことはできただろうが、ズルズルとやるつもりはなかった。自衛隊をやめ、新天地を求めた。

レスリングがベースの格闘技だが、闘い方は全然違う

 それでも、年齢や体力の衰えを感じたからマットを降りたのではない。時間が経ってみると、“闘う魂”がうずく。総合格闘技は好きだったし、小学生時代は空手の経験もあるので、打撃格闘技への抵抗もなかった。総合格闘技の道でもう一度、頂点を目指そうという気持ちになり、練習 → アマ修斗 → トライアウトを経て、プロ・デビューを迎えた。

 ガッツ天斗(パラエストラ小岩=2戦目)との試合では、パンチ攻撃で突破口を開き、組みついたあとはバック投げ、がぶり返し(ネックロック)、俵返しで相手の後頭部をマットにたたきつけるなどグレコローマン・テクニックを披露。片足と両足へのタックルなどフリースタイルの技術も駆使し、常に攻めた。

 5分2ラウンドという未経験の試合時間もスタミナ切れすることなくこなし、3-0(三者とも20-18)の判定勝ち。総合格闘技に必要な打撃と極め(関節技)の技術をしっかり身につければ、十分にやっていけるだけの可能性を示してくれた。

「やるからには、強くなって有名になりたいです」…倉本一真

 もちろん、この闘いで「よし」というわけにはいかない。レスリングの技術が「必要かつ重要な要素」と言われる総合格闘技だが、レスリングそのままでは通じないのも事実。「レスリングなら完ぺきなタックルであっても、それだとひざを合わされることもあります。レスリング目線では『下手くそ』と思えるようなタックルも通用するんです」とのこと。

 闘いの根本を支えているのは、レスリング選手としての「誇り」だという。「レスリングの全日本王者として、カッコ悪いことはできないですよね。そのプライドをもってやっていこうと思います。レスラーは強いことを見せようと思います」。

 そして続けた。「やるからには、強くなって有名になりたいです」-。そのためには、活動を支えてくれる支援者がほしいところだ。

 「PRIDE」全盛期なら、レスリングの全日本王者ともなれば破格の契約金で引っ張られたかもしれないが、競技性をかたくなに追求する修斗では、他競技での実績は無関係。修斗での実績を積み重ねていくしかない。一世を風靡した山本KIDも、デビューは修斗のリング。真偽は不明だが、光熱費を払うお金がなくロウソクを灯して生活していたという話がまことしやかに伝わっているほど。そんなどん底からスターに上り詰めた。

 闘いの場は変わったが、倉本の“闘う人生”は、まだこれからだ。(写真の下に続きます)

プロ修斗のデビュー戦を飾った倉本一真

湯元進一、清水博之両コーチら自衛隊時代の仲間が応援

がんから生還! やり残しはつくらない!…楳沢智治

 この日の大会の開始前、出場全選手がリングに上がり観客に紹介された。代表してあいさつをしたのが楳沢。「インフィニティリーグ」というリーグ戦への出場が決まり、この日が1回戦だった。しかし、小巻洋平に開始早々、三角絞めを決められ、無念のギブアップ。「寝技の技術は相手が上だと分かっていたが…。まだリーグ戦は続きますから」と気を取り直した。

リーグ戦出場のチャンスを得た楳沢智治だが…

 栃木・足利工大付高時代に高校三冠王に輝き、日大へ進学。1997年の東日本学生リーグ戦で日大が日体大の19連覇を阻止して19年ぶりの優勝を遂げた時の主力メンバー。卒業後は女子のコーチとして世界選手権に同行するなど指導者としての力量を発揮した。

 地元へ戻って仕事をしていたが、6年前に舌がんにかかり、必死の治療の末、“生還”した。その時に思ったのが「やりたいことをやっておくべきだ。やり残しをつくってはいけない」ということ。地元にUターンする前の2001年に、一度だけ修斗のリングで闘ったことがあるが、仕事のため、そこで終わっていたという。ピリオドを打たずにこの闘いを終えていいのか?

この日は無念の一本負け

 そんな思いが、2015年から修斗のリングに再登場することになった。再デビューからこの試合前までの戦績は4勝3敗で、3連勝中。42歳という年齢を感じさせない強さは維持しており、まだ衰えることを知らないかもしれない。「トレーニングはしっかりやっています」。自営業だけに、練習時間はかなり自由がきく。残るリーグ戦での健闘が期待される。

 倉本が全日本王者を経て修斗に来たことは「刺激になりますね」という。「若い選手に、どこまで通用するかの見本になれるよう、できるところまで闘い続けたいです」と、気を引き締めた。

 レスリング選手としての誇りを忘れずに闘いを続ける選手の存在も、レスリング界の大きな財産であると言えよう。







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