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2018.06.01

【特集】悪性リンパ腫(血液のがん)との闘いを乗り越え、渡利璃穏(アイシンAW)が世界へ再挑戦!

渡利璃穏

 リオデジャネイロ・オリンピックから約1年9ヶ月。レスリング界の“リオ”がマットに戻ってきた。女子75kg級代表の渡利璃穏(アイシン・エィ・ダブリュ)。悪性リンパ腫(血液のがん)との闘いを乗り越え。明治杯全日本選抜選手権(6月14~17日、東京・駒沢体育館)の68kg級にエントリーした。この階級は全日本チャンピオンの土性沙羅(東新住建)が負傷棄権したため、優勝者が世界選手権(10月、ハンガリー)の代表になることが決まっている。

 「出るからには優勝したい。でも、どこまでやれるのか、気負わずにやりたい」。まだ東京オリンピックを具体的に思い浮かべることはできないが、「リオで勝てなかった悔しさは残っています。闘病中も思い出しました。東京でメダルを取りたい気持ちは強いです」と、地元開催のオリンピック出場への気持ちは十分だ。

小林麻央さんの闘病への姿勢が励みになった

 渡利の体に異変が生じたのは、オリンピックの約2ヶ月前。胸に違和感があって検査を受けたところ、腫瘍が見つかった。オリンピックに集中するため精密検査を先延ばしにし、9月の検査で「ホジキンリンパ腫」であることが判明。以後、闘病生活へ入った。

無念の初戦敗退に終わったリオデジャネイロ・オリンピック。この時、すでに病魔が忍び込んでいた

 精密検査の結果を聞いた時は、不安でいっぱいだったと思われるが、「オリンピック前から、『確定はできないけれど』と言われつつ伝えられていました。精密検査の結果の時は覚悟が決まっていたというか…。どういう治療法があって、どういう副作用があってとかを学んでいました」とのこと。

 むしろ、最初の結果を聞いた時に、「オリンピックへ出られるかな、といった不安が何をしていても頭をよぎった」という。そんな心理状態で壮行会に出席し、オリンピックのマットに上がり、初戦敗退だったとはいえ地元のブラジル選手相手に3-4の激戦を展開したのだから、その精神力は脱帽ものだ。

 「血液のがん」と聞くと、不治の病というイメージすらあるが、ホジキンリンパ腫は早期発見の場合、5年生存率は91.4%(国立がん研究センターHPより)とかなり高率。「しっかり治療すれば必ず治る」と言われていたこともあり、現代医学を信じて治療に取り組めたという。

病気に打ち勝ち、至学館大で練習する渡利

 11月には「明らかにすることで刺激にしたい」と闘病を公表した。レスリング界では、2012年ロンドン・オリンピックを目指していた長島和幸さん(現福岡大コーチ)が急性骨髄白血病にかかり、大会会場で多額の医療費のための寄付を募り、多くの人に支援されて回復できたことが記憶に新しい。

 長島さんの例が「励みになりました」とのことだが、会場での寄付の呼びかけなどはしなかった。「絶対に治る病気だ、と聞かされていましたから、そこまでは…。公表しましたけれど、静かに、ストレスなく治療したいという気持ちでした」。

 支えになった一人に、アナウンサーの小林麻央さんがいる。がんを公表し、2017年6月に亡くなるまで、ブログで闘病日記を公開。最期まで生きることに前向きだった姿勢は、多くの人の胸をうった。渡利も小林さんの生きる姿勢から勇気とエネルギーをもらったそうだ。

練習できることの幸せを痛感、その思いを明治杯へぶつける

 昨年6月の明治杯全日本選抜選手権では報道陣の取材に応じ、マット復帰への気持ちを口にした。8月の検査で“完治”と言える状況にこぎつけ、トレーニングを再開。それから9ヶ月を経て試合出場にまで回復した。だが、一筋縄にはいかなかった9ヶ月間だった。

2014年アジア大会(韓国)で優勝した渡利。国際舞台で輝く日が再び来るか

 闘病中は「運動」と呼べることはほとんどしておらず、投薬による痛みや立ちくらみなどで寝ていることが多かった。「抗がん剤を1回打つと、1週間は痛みがあったり気持ち悪かったりでした」。そのため、歩くことからスタートという“練習再開”だった。「長く歩くと、かかとの上が痛くなってしまうんです」-。

 歩くことが大丈夫になってジョギングに移ると、また痛みに襲われた。「まず一般人を目指そう、と気持を決めました」。トレーニングというより、リハビリが終わり、昨年末にはマットに短時間上がって体を動かすまでに回復。今年に入って、至学館大の練習時間を通じてマット上に居続けられるようになった。

 4月末には新潟・十日町での全日本合宿に参加。「筋力や体力はまだ完全に戻ってはいないですけど(全日本合宿に)参加しました。あの坂道(通称「金メダル坂」)は本当にきつかったです」と振り返る。それでも、「(以前は)苦しいと感じることも多かった練習。それができることが幸せなんだなあ、と感じました」と、闘病生活を通じて得たものもあった。今後の選手生活、そして人生で生かされることだろう。

 最初の実戦マットで結果は出ないかもしれない。だが、レスリングのできる幸せを胸に、渡利が再び世界を目指す。







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