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2018.07.17

【訃報】斎藤昌典氏(1964年東京オリンピック代表=元プロレスラー・マサ斎藤氏)

1964年東京オリンピックの代表メンバーだった斎藤さん(前列左端)

 1964年東京オリンピックのフリースタイル97kg以上級の代表で、その後、プロレスラーのマサ斎藤として活躍した斎藤昌典氏が7月14日午前1時5分、逝去されました。75歳。アドバイザーを務めていた健介オフィスが発表した。

 通夜・告別式は家族と関係者のみによって行われる。喪主は妻・倫子さん。

 東京都出身。明大時代に学生王者、全日本王者を経て東京オリンピックの代表へ。スウェーデン選手と引き分けながらも、3回戦で英国選手に敗れて敗退。その後、明大OBの杉山恒治氏(サンダー杉山=故人)とともにプロレス入り。日本のレスリング・オリンピック代表から初めてプロレス入りした。

 日本プロレス、東京プロレスを経て米国へ渡り、フリーの選手として活動。ヒール(悪役)として米国のほぼ全域で活躍した。時に日本プロレス、そして新日本プロレスに参加。途中から外国陣営で闘うなど、日本人トップ選手と数多く闘い、長州力らと維新軍を結成するなど、反主流派に属することが多かった。

 1987年10月4日、巌流島でアントニオ猪木との時間無制限ノーレフェリー・ノールール・無観客で対戦。野外で行われた2時間5分14秒の死闘は現代版「巌流島の戦い」として注目を集めた。

 1999年に引退。テレビ解説などを務め、佐々木健介率いる健介オフィスのアドバイザーとなったが、長くパーキンソン病との闘病を続けていた。

 倫子夫人は「穏やかながらも、新たなチャレンジへ向かうような、マサ斎藤らしい力強い旅立ちでした。現役時代並びに闘病生活中にお世話になりました皆様方に対し、生前に賜りましたご厚意に感謝し謹んでご通知申し上げます」とのメッセージを出した。







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