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2019.07.24

【東京オリンピック1年前・特集】2度の東京オリンピック取材を目指す89歳の現役記者、宮澤正幸さん(1)

7月21日の世界選手権代表決定プレーオフに記者として参加した宮澤正幸さん=撮影・保高幸子

 東京で56年ぶりの開催となる夏季オリンピックまで、あと1年。元日刊スポーツ記者、本協会機関誌編集長の宮澤正幸さん(拓大レスリング部OB)は「90歳で迎えるオリンピックを取材する」という一念で、健康に留意しつつ、毎日をすごしている。

 本協会の顧問に名を連ねており、全日本選手権などではひな壇の役員席に座ることができる。しかし、行く先は報道記者席だ。「生涯一記者を貫きます」。記者魂は健在だ。

 取材で2度の東京オリンピックに接する人は、そういまい。当初は“2度取材”に関してさほどの意識はなかったという。親しい記者仲間から「ギネスブックに載りますよ」と言われ、「興味と関心を持ちました」と笑う。

 以前の東京オリンピックの時はIDカードの発行制限などなかったか、あってもないに等しく、自由に取材できていたのが、今は国際オリンピック委員会(IOC)の管理下、古巣の日刊スポーツのみならず、レスリング協会ですら簡単に手に入らない。「観戦ではなく、現場で取材したい…」という思いは実現するか。

62歳の時に「糖尿病」と診断され、健康維持との闘いへ

 「東京オリンピックまで、あと1年ですよ」との問いかけに、「90歳というと、長老の部類です。実は、去年秋、全身麻酔を受けての胆石除去手術を受け、その時、前立腺がんが見つかったのです。悪性ではなく転移もしていなかったので、医師から『ホルモン治療によって、あと5年から10年は保証できる』と言われました。あと10年は生きなくてもいいけど、東京オリンピックまではと思って、ホルモン注射を受け続けています」と、健康との闘いを披露してくれた。

1964年東京オリンピック・レスリング競技の入場券=本人提供

 最近は大きく様変わりしているが、昔の新聞記者は健康に細心の注意を払う人は少なかった。勤務時間が不規則で深夜に及ぶのは仕方ないとしても、明け方まで酒のつきあいや麻雀があることも少なくない。タバコを吸いながらの執筆は普通の光景。宮澤さんはタバコとは縁がないが、不規則の長時間労働ゆえに運動することは少なく、健康にも気を遣うことはなかった。

 日刊スポーツを定年(当時55歳)退職し、嘱託記者時代の62歳の時に自費で行った1992年バルセロナ・オリンピックの時、写真に写っていた自分の姿に愕然とした。「おなかが、びっくりするほど出ていたんです」。それまでは、「何でも食べていれば、それが健康だ」と思っていたそうだが、いつの間にか過食となり、体型が大きく変わってしまっていた。

 「これは体の中も問題があるかもしれない」と思い、帰国して検査を受けると「糖尿病」との診断。すごい数値を見せられ、「ここ(開業医)では手に負えません。専門の病院を紹介しますので、そこに行ってください」と言われ、不安を抱えながら向かったという。

 幸い、すぐ命に影響するほどではなく、糖尿病にありがちな足を切断などの段階までも行っていなかった。投薬と食生活の改善、適度な運動によって好転する状況。そこで、仕事前に近くのプールで水中歩行することを日課とした。

 それでも体重が減らない。運動してから食事をするから駄目なのかと思い、食事をし、休憩してから運動すると、やっと体重が減ってくれたという。74kgあった体重が60kgを切った。レスリング選手だった学生時代と同じ。現在も57kgを維持しているという。

ボランティアの協会機関誌発行を25年以上続けた

 日刊スポーツの記者としては、横綱・初代若乃花の引退(若乃花の奥さんから電話があった)やアジア大会の政治問題にからんでインドネシアのスカルノ大統領への単独会見(宮澤さんは拓大インドネシア語専攻)など、数々のスクープをとった辣腕(らつわん)記者。国際スポーツ記者証は今でも日刊スポーツが登録料を払ってくれている。レスリング界に残した足跡も大きなものがあり、すべてを書いたら、一大絵巻ができ上がるだろう。

1963年GANEFO・新興勢力スポーツ(ジャカルタ)では、柔道とレスリングの監督、国際審判員(写真)、さらに報道取材も兼ねる仕事で、一人4役を引き受けた=本人提供

 そのひとつが、1964年東京オリンピックの後から平成に入った直後の1990年3月まで続いた協会機関誌発行だ。当時のアマチュア競技はほとんどがそうだったが、国からの補助金が頼りという状況で、金には苦心していた。八田一朗会長が記者に対して「批判記事でもいい。レスリングを記事にしてくれ」と頭を下げていたのとは裏腹に、「広報に力を入れても金メダルは取れないよ」という役員もいたほどで、広報に回ってくる金はない。

 「国体やインターハイは、仕事を休んで協会役員として派遣してもらいましたが、都内の交通費や執筆料、編集費など、もらった記憶はないです」。レスリングが好きだったことと、記録を後世に残さなければならないという記者としての使命感によって、無給での機関誌編集を25年以上にわたって続けた。関東学生リーグ戦で三部にまで転落した拓大を再建しようと、10年間も監督を買って出た苦難の時代でもあった。

《続く》







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