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2020.04.23

【記録】“プロレスの神様”カール・ゴッチは1948年ロンドン大会の両スタイル出場選手

1973年10月の新日本プロレス(蔵前国技館)でのタッグマッチで、アントニオ猪木と闘うカール・ゴッチ=撮影・山内猛

 日本のプロレス界に大きな影響を与えたのが、“プロレスの神様”と言われたカール・ゴッチ。1948年ロンドン・オリンピックの両スタイルに出場したオリンピアンだ。

 同時期に活躍していたダニー・ホッジが、1956年メルボルン・オリンピックの銀メダリスト、全米大学(NCAA)選手権3度優勝と確固たる記録が残っているのに対し、ゴッチの名は世界レスリング連盟(UWW)のデータベースにも載っておらず、懐疑的な声があったのも事実。

 1948年大会の詳細な記録を調べてみると、本名カール・イスタツは、ベルギー代表として、両スタイルの87kg級にしっかりと刻まれている。当時は6位までが入賞。UWWデータベースでは、当時の大会は下位選手の記録は掲載されていないために、ゴッチの名前がないだけの話だ。この時、23歳(大会期間中に24歳へ)。

 ゴッチは、先に行われたフリースタイルでは、1回戦と3回戦で敗れ(2回戦は試合なし)、バッドマーク「6」へ。規定によって、この時点で敗退となった(当時は、負けるとバッドマークという罰点がつき、6点になると失格)。3回戦終了時点で残っていたのは6選手いたため、あと1勝でもすれば入賞は果たせた。

 続いて行われたグレコローマンでも、2回戦でギリシャ選手を破っているが、1、3回戦で黒星を喫し、バッドマーク「7」へ。上位進出ならなかった。

 《フリースタイル成績》
1回戦 ●[0-3]Candas, Muharrem(トルコ)
2回戦  BYE
3回戦 ●[フォール、1:20]Stoeckli, Fritz(スイス)

 《グレコローマン成績》
1回戦 ●[フォール、3:54]Groendahl, Kelpo Olavi(フィンランド)
2回戦 ○[3-0]Kambaflis, Athanasios(ギリシャ)
3回戦 ●[フォール、4:01]Kovacs, Gyula(ハンガリー)

 ロンドン大会の2年後にプロレスに転向。レスリングの基礎をもって強さを発揮し、欧州でチャンピオンになるなどしたあと、1960年に米国へ。AWAの王者にもなったが、強さを求めるあまり、ショー的色彩が強くなったプロレスに馴染めず、スターと呼べる地位にはつけなかった。日本では、その技術を学んだ選手が多く、アントニオ猪木や藤波辰巳(現辰爾)、前田日明らゴッチの指導で強くなった選手は少なくない。

 2007年7月28日、82歳にして米国の自宅で死去。2017年には、門下生によって東京・荒川区に墓が建立された。







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