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2020.06.24

【特集】「可能性を限りなく広げ、夢をつかんでほしい」(上)…“はい上がり度ナンバーワン!” WRESTLE-WIN・永田克彦代表

 近年、多くのスポーツで“エリート政策”が展開され、幼少の頃からずば抜けた才能を見せる選手がいる。中学に入ってから競技を始める場合、キッズ・エリートとは努力では追いつけないと思える差を感じ、「やっていけない」と思う子は少なくない。

 レスリングも例外ではない。キッズ・レスリングが盛んになったことで日本の競技レベルが上がったことは間違いないが、高校に入ってからレスリングを始める選手では、全国大会に出場することすら難しいのが現状。層の薄い都道府県や階級で運よく出場できても、上位入賞は厳しい。

「WRESTLE-WIN」を運営する2000年シドニー・オリンピック銀メダリストの永田克彦代表(後列右)。底辺からはい上がった選手だ(チーム提供)

 こんな状況下でも、どんな選手にも「可能性を限りなく広げ、夢をつかんでほしい」と訴える指導者がいる。2000年シドニー・オリンピックで銀メダルを取り、日本のメダル獲得の伝統を守ったWRESTLE-WIN(東京・調布市)の永田克彦代表だ。野球少年から高校入学後にレスリングに取り組んだ。千葉県の王者になれず、3年生の時(1991年)も、インターハイにも国体にも出場できない選手だった。年下の選手にも勝てず、県で3番手くらいの位置。

 かろうじて全国高校生グレコローマン選手権に出場できたものの、これはいろんな面で助けられての県代表だったという。予選がインターハイ予選の1週間後にあり、強い選手が階級を上げたり棄権したりしてくれ、「奇跡的な1位だった」。実質的に「県1位だ」とは思えない県代表とのこと(本大会では4回戦敗退=当時は2敗して脱落。順位をつけるとしたら、51選手中20~25位)

永田克彦のオリンピック銀メダルを想像した人はいなかった?

 当時の永田代表に接していた人間で、彼がオリンピックの銀メダリストになると想像していた人がいただろうか。1991年の高校の全国大会(全国高校選抜大会、日本ジュニア選手権=現JOC杯、インターハイ、全国高校生グレコローマン選手権、国体)の1~3位選手で、オリンピック出場を果たしたのは川合達夫(群馬・西邑楽高~日体大=1996・2000年大会代表)ただ一人で、他にベネズエラ代表としてルイス・バレラ(宮城・仙台育英高~日大=1996年大会代表)がいるだけだ。

千葉県の3番手だった選手が、オリンピックの決勝のマットに上がった!=2000年9月、オーストラリア・シドニー

 永田代表は、夢をつかむために必要なことは「自分はできる、絶対やるんだ、という強い思いであり、誰に笑われようが、バカにされようが、壁にぶち当たろうが、実行し続ける強い意志」と力説する。

 高校に入ってからレスリングに取り組んだ選手だけではなく、高校時代に実績を残したけれど、その後、壁にぶつかっている選手にも伝えたいこと。あきらめるのではなく、初心に戻って「夢を追い続けてほしい」と言う。

 永田代表は、3年生の夏、インターハイへの道が絶たれた時に「勝つ喜びを味わいたい。一番強くて厳しい環境で練習したい」という気持ちになった。兄・裕志(現プロレスラー)が最強の日体大に在籍していたので(1988年に2年生で学生王者へ)、そのつてで日体大を選び、レスリングを続けることにした。全国大会20位にも行けず、エリート集団の推薦に入れたのだろうか。

 日体大を指揮していた藤本英男監督が裏話を披露する。当時、他のクラブで獲得を予定しながら辞退されて推薦枠を返上するケースが時々あり、レスリング部でもらうことがあったそうだ。「確か、その枠で入れたんだと思う」と言う。永田の恩師(成東高・武田三千男監督)が自身の教え子であり、兄・裕志の絡みもあって、渡りに船とばかりに“合格”を出したのだろう。

 「その枠がなかったら、取れなかったかなあ…」。そうなったら、日本男子のオリンピックでのメダル獲得は、2000年シドニー大会で途切れていた可能性が高い。

日体大入部当初は、下の階級の選手にもボロ雑巾にされた

  “補欠合格”の実力では、全国から強豪が集まり、世界を目指す選手も数多くいるチームでの練習に大きな差を感じるばかり。下の階級の選手にもボロ雑巾のようにされ、失意を味わうことも多かった。

“ボロ雑巾”だった時期を乗り越え、日体大2年生の東日本学生秋季新人選手権で優勝、初めて表彰台の一番高い場所に上がった=1993年11月、東京・駒沢屋内球技場

 一方で、「最高のお手本が目の前にいる」と考えれば、これほど素晴らしい練習環境はない。そうした選手の練習内容や姿勢を観察しつつ、「強くなるために必要な要素を自分の頭で導き出していった」と言う。苦境下での“逆の発想”、すなわちプラス思考は、人間の成長に必要な要素である。

 藤本監督は、100人近くの部員の顔と名前、出身校、特徴までを正確に覚える特技を持っている。その名伯楽に新人時代の永田代表の印象を聞いてみると、「まじめ」「一生懸命やっていた」以外の言葉が、なかなか返ってこない。千葉県の2~3番手では、光る技術がなかったのも当然か。

 かろうじて、「考える力はあった。父親が千葉県の高校の校長先生だったからか、勉強もしっかりやっていて、頭はシャープだった。考えて練習できないヤツは、強くなれないんだよ」と付け加えた。

《続く》







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