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2020.06.27

【担当記者が見たレスリング(8)下】パリは燃えているか? 歓喜のアニマル浜口さんが夜空に絶叫した夜…高木圭介(元東京スポーツ=神奈川大OB)


(文=フリーライター/元東京スポーツ記者・高木圭介、神奈川大レスリング部OB)

《前回から続く》

 1997年7月、フランス・クレルモンフェランで行われた世界女子選手権の翌日、選手団一行は花の都パリへと移動し、1泊してから帰国の途に就くことになった。

父娘の肩車を朝刊紙に奪われ、傷心の高木記者は、2人をパリ市内に連れ出した

 パリのホテルで視聴したNHK国際放送のニュースでは、前夜の父娘肩車写真とともに「浜口京子、初の世界王者に」のニュースが報じられていた。日本国内のスポーツ新聞のほぼ全紙が、その写真と共に一面記事で報じていることも東スポ本社との国際電話で知らされた。

 さて、フランスまで同行取材している東スポとしては、どう手を打つべきか? 感動の父娘肩車写真は他紙で使用済みとなってしまったので、もう使えない…。夜の打ち上げパーティーまでの空き時間に、エッフェル塔の前で、父が娘を“お姫様抱っこ”する父娘ツーショットを撮影させてもらいつつ、世界チャンピオンとして今後の展望などを語ってもらうことにした。

 全日本女子連盟→通信社からの情報のみで記事を構成した各スポーツ紙も、すでに「浜口京子、女子プロレス入りか?」といった憶測記事があったことは国際電話で知らされていた。浜口父娘にインタビューした今後の展望と、アントニオ猪木氏のコメントも合わせて「浜口京子、猪木軍入りか?」みたいな記事として、無事に一面を飾れたことと記憶している。

 当時、アマチュア側には「似て異なる業種」であるプロレスへの嫌悪感を示す人も多かった。その点、もともと「プロレスラーの娘」として育ち、両競技への理解がある浜口京子は、プロとアマも分け隔てないボーダーレスな感覚をいち早く持ち合わせていたことにも助けられた。

愛娘の快挙がうれしく、パリの夜空に絶叫したアニマルパパ

 ホテルのロビーにて顔を合わせた女子連盟の樋口さんは「せっかくフランスまで来てくれたのに、東スポ独占にならず申し訳ない…」と恐縮していたものだが、他紙の報道をうかがいつつ紙面編成を決めるのは、夕刊紙である東スポの宿命。仮に、ほぼ全紙が一面とならなかった場合、東スポとて一面で報じていなかった可能性は高かった。

大会最終日のバンケット(当時は、参加した全選手と役員が参加した懇親パーティーがあった)では“人間”だったアニマルさん。翌日のパリでは…

 結果オーライの大団円のようでもあったが、本当の波乱はここから始まった。打ち上げも終わり、選手団はホテルへと戻る。「世界で最も幸せな父親」と祝福され、上機嫌で酔いも回り、すっかりできあがったアニマルパパを部屋へと連れ戻す役目が私へと回ってきた。

 普段は温厚なアニマルパパだが、お酒が入った時だけは別…。「ワッハハ」とやたらめったら周囲の人の背中をたたきまくり、かなりの大声で叫ぶのが常。

 赤石光生コーチと金浜良コーチと私の3人が「夜も遅いんで、そろそろ部屋に戻りましょうか」と、アニマルパパの大きな背中を押しつつ、部屋へと押し込もうとする。すると赤石コーチと金浜コーチは、私の背中も一緒に部屋へと押し込み、脱出できないよう外側からドアを押している。計画的犯行だ。

最大の敵・劉東風(中国)を破った浜口京子とアニマルさん。左は高木記者を“アニマル部屋”に監禁した赤石光生コーチ

 部屋に戻ったアニマルパパは窓を全開にするや、パリの夜空に向かって「吉原社長(注=アニマルさんの所属していた国際プロレスの吉原功社長。早大レスリング部OBで、国内初のアマチュア出身プロレスラー。1985年没)、京子がやりましたよ~っ!」と大絶叫。

 ホテル側の迷惑を考えて窓を閉めると、「なんで窓を閉めるんだ? オイオイ、これからエッフェル塔に登るぞ」なんて叫んでいる。「もう、エッフェル塔は閉まっていますよ」と言っても、「いいんだ。階段でエッフェル塔のてっぺんまで行くぞ!」と聞く耳を持たない。ドアの外からは「クククク…」と赤石コーチと金浜コーチの笑い声が聞こえてくる。

 しかし、ここでドアを開けたら最後、猛獣と化したアニマルパパがパリの街へと脱走してしまう…。この暴走を止められるのは、世界広しといえど「京子ママ」の初枝さんだけだろう。結局、私は上機嫌のアニマルパパをベッドに寝かしつける夜明け頃まで、“猛獣部屋”の番人をしていたのだった。

浜口一家の謙虚で控えめな姿勢が、レスリングをメジャーに押し上げた

 睡眠時間はゼロ。翌朝の出発時間、ホテルロビーに向かった私の目は真っ赤に充血していた。

 当のアニマルパパは、何事もなかったようにケロリと周囲と談笑。事情を把握している赤石コーチと金浜コーチだけはニヤニヤとこっちを見ている。樋口さん、そして「パリの夜」を存分に満喫した様子の東スポのカメラマンと矢吹カメラマンからは「どうしたの? 目が真っ赤だよ」と聞かれ、「寝不足なんだよ!」と吐き捨てた。

19歳の娘に歓喜のハグをしてもらえる父親、世の中にどのくらいいるだろうか…(注=やらせ写真ではありません!)

 狂乱の一夜だった。しかし、このフランス世界選手権から始まったアニマルパパ、そして母・初枝さんをも巻き込んだ浜口一家劇場が、普段はレスリングに興味を示さない人たちにまで女子レスリングを認知させることとなり、女子レスリングのオリンピック種目化(2004年から)も追い風となり、のちの吉田沙保里や伊調馨ら国民的スーパースターを誕生させ、今やメジャーと認知されるに至った土壌を作ったことを忘れてはならない。

 レスリングを取材するメディアは90年代とは比較にならないほど増えた現在、選手とメディアの距離感も、以前のままというわけにはいかない。時にスキャンダルが報じられることもあるだろう。しかし、それこそが「メジャーになった」という証拠でもある。

 それでもメディア側には、浜口一家に代表されるように、選手や関係者の人間的魅力や面白さを伝え続けて欲しいと願うし、日本レスリング協会側にも、八田一朗会長以来の裏伝統でもある「メディアへの(取材)協力は惜しまない」を失わないで欲しいものだ。

 パリからの帰国便に乗り込む前、空港ロビーで仲良く談笑している浜口父娘を眺めるにつき「父と娘ってのは、いいもんだな」なんて思ったものだが、あの決勝戦(7月12日)から10ヶ月と5日後、私も女の子の父親となっていた。あれから23年、浜口父娘と大きく違うのは、娘が父親をまるで尊敬していないことと、あまり口をきいてくれないことである…。今となっては19歳の愛娘にハグされていたアニマルパパが羨ましい。

高木圭介(たかぎ・けいすけ)1969年。神奈川県川崎市生まれ。神奈川・法政二高~神奈川大時代はレスリング選手。1991年全日本寝技選手権で決勝まで進む(オリンピック代表の伊藤広道に黒星)。1993年、東京スポーツ新聞社に入社。主にプロレス、格闘技、社会事件、レジャー等を担当。デスクを経て2014年からフリーライターに転身。オリンピックは1996年アトランタ、1998年長野、2000年シドニー大会を取材。レスリングは各スタイルの世界選手権やアジア選手権を多数取材。主な著書は『ラテ欄で見る昭和』など。

担当記者が見たレスリング

■2020年6月20日: 父と娘の感動の肩車! 朝刊スポーツ4紙の一面を飾った名シーンの裏側…高木圭介(元東京スポーツ)
■6月13日: レスリングは「奇抜さ」の宝庫、他競技では見られない発想を…渡辺学(東京スポーツ)
■6月5日: レスラーの強さは「フィジカル」と「負けず嫌い」、もっと冒険していい…森本任(共同通信)
■5月30日:減量より筋力アップ! 格闘技の本質は“強さの追求”だ…波多江航(読売新聞)
■5月23日: 男子復活に必要なものは、1988年ソウル大会の“あの熱さ”…久浦真一(スポーツ報知)
■5月16日: 語学を勉強し、人脈をつくり、国際感覚のある人材の育成を期待…柴田真宏(元朝日新聞)
■5月9日: もっと増やせないか、「フォール勝ち」…粟野仁雄(ジャーナリスト)
■5月2日: 閉会式で見たい、困難を乗り越えた選手の満面の笑みを!…矢内由美子(フリーライター)

 






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