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2020.07.04

【担当記者が見たレスリング(9)】“人と向き合う”からこそ感じられた取材空間、選手との距離を縮めた…菅家大輔(日刊スポーツ・元記者)

(文=日刊スポーツ・元記者/菅家大輔)

 照りつける強烈な日差しを浴びて、足元の悪い斜面を上がった。呼吸はすぐさま荒くなり、変な咳(せき)が出始めた。前夜に食べた焼き肉と、飲んだ酒が汗として出るのならまだいいが、油断すると「ウッ」と口から出てきそうな嫌な感じが止まらない。

日刊スポーツの紙面を飾った根子岳への登山取材

 自業自得なのだが、運動不足で衰えた体力、不摂生で体にまとわりついたぜい肉、それらすべてが山道を登る足かせとなった。「山頂に着いたら選手の取材ができますので、頑張って下さい!」。日本レスリング協会担当者のさわやかな声を、これほど恨めしく思ったことはなかった(繰り返しますが、健全な体を維持できなかったのは自業自得なんですけど…)。

 もう12年前のことだ。2008年7月17日、北京オリンピックのレスリング男子日本代表メンバーは長野・菅平高原で強化合宿を行っていた。目の前にそびえる標高2207mの根子岳を同1300m付近から一気に駆け上がり、心肺機能を強化するのが選手たちにとっては恒例行事だった。

 北京オリンピックまで数週間、メダル獲得に燃え、選手たちのテンションは高まっていた。記者として、しっかり取材せねばと気持ちは高揚したが、如何せん体がついて行かない。

利便性を感じるテレビ会議だが、物足りなさがある

 後発の選手がすさまじいスピードで山を駆け上がる姿を横目で見つめながら、もうろうとした意識で何とか頂上まで登り切った。登頂までの中身に差はあるにせよ、ともに山を登った不思議な達成感からか、はたまた眼前に広がる見事な景色からか、選手たちとの距離感も縮まり、貴重な取材機会となり、その後にもつながった記憶がある。

頂上に登った記者とカメラマンのみが取材を許される(?)とあって、運動不足の報道陣も必死で山を登った!

 この数ヶ月、新型コロナウイルス感染症の世界的な感染拡大のため、経済はもちろんのこと、スポーツ界もほぼ全てが停止状態となっていた。このウィルスは人と人の物理的距離ばかりか、精神的距離さえも破壊しかねず、我々の生活様式さえも一変させてしまう恐ろしいものだ。

 今は広告事業部で仕事をする私も、在宅勤務の毎日の中、テレビ会議などで想像以上の利便性を感じる一方で、何か物足りなさがあった。私の感受性が低かったからかもしれないが、人と向き合うからこそ感じられる「空気」「雰囲気」が、よりビジネスライクになってしまうテレビ会議などでは得られなかったからだ。

 取材相手と向き合い、会話の中から答えを引き出す過程で、相手の顔色、呼吸、言葉の間の微妙な変化を感じ、本音を探る。それが、取材者としての醍醐味だ。自己責任で行う言葉のキャッチボールの時間には、時に柔らかく、時に堅い、様々な空気が流れる。

オリンピック代表チームとの登山共有が、記者と選手・コーチとの距離を縮めた!

 満足、不満足、納得、不服、喜び、怒り、哀しみ、楽しみ…。複雑に絡み合う感情を交差させながらコミュニケーションを深めていく。そこには必ず、精神的距離がつくり出す「空気」「雰囲気」があり、その変化の機微を感じ取るべくアンテナを張り巡らす。旧態依然かもしれないが、デジタルではカバーし切れないこれらは、ビジネスにも必要だと感じる。

 当時からレスリング界は、メディアへの発信力に長けていた。選手、指導者個々がそれぞれのキャラクターを持っていることに加え、業界自体でレスリング発展のために積極的にメディア、世間と向き合う姿勢があった。

 数多くのユニークな練習を実施して強化と話題の提供の両輪を回していただけでなく、常に我々に向き合ってくれた。今だと「癒着(ゆちゃく)」やら、何やらと言われそうだが、賛辞だけではなく、レスリング界が嫌がることも書いてきた。それにより罵声を浴びたこともあるが、それらは何もかも、「空気」「雰囲気」あるコミュニケーションがあったからこそのことだ。

今にも吐きそうな登山取材を、もう1回やりたい!

 コロナ禍により、今はリモート取材がメーンになっていることだろう。選手、関係者とのコミュニケーションも、しばらくは(もしくは長期間かもしれないが)対面式が激減することだろう。それが主流になるかもしれない。

福田富昭会長も登山に挑み、根子岳の神様にお祈り(その左、中腰が筆者)

 防疫が一番大事だから、最善の策を打つべきだ。ただ、長年、向き合うことを積み重ねてきたレスリング界だからこそ、この状況下においてもドライで無機質ではない、「空気」「雰囲気」が感じられる取材活動を形作ってもらえるのではないか、と期待してしまう。

 文章の多くを山登りの思い出話に費やしてしまったが、幸運にも数多くの競技を取材させていただいた一取材者が、「空気」「雰囲気」を感じる取材現場として、すぐに思い浮かんだ事例だった。

 もう取材現場から離れているが、今にも吐きそうな登山取材を、もう1回やりたいと思う自分がいる。「空気」「雰囲気」がある現場だからこそ、魅力的であり、世間に発信すべき何かを、より見つけられる場所だと信じているからだ。

菅家大輔(かんけ・だいすけ)1976年、茨城県日立市生まれ。茨城・日立一高~早大。2000年にデイリースポーツに入社し、プロレス担当、サッカー担当。2006年に日刊スポーツに転籍し、2008年北京オリンピックでレスリング、柔道、ソフトボールなどを取材後、サッカー担当に。2015年5月より広告事業部。サッカーW杯2回、北京オリンピックなどを取材。

担当記者が見たレスリング

■2020年6月27日:パリは燃えているか? 歓喜のアニマル浜口さんが夜空に絶叫した夜…高木圭介(元東京スポーツ)
■6月20日: 父と娘の感動の肩車! 朝刊スポーツ4紙の一面を飾った名シーンの裏側…高木圭介(元東京スポーツ)
■6月13日: レスリングは「奇抜さ」の宝庫、他競技では見られない発想を…渡辺学(東京スポーツ)
■6月5日: レスラーの強さは「フィジカル」と「負けず嫌い」、もっと冒険していい…森本任(共同通信)
■5月30日:減量より筋力アップ! 格闘技の本質は“強さの追求”だ…波多江航(読売新聞)
■5月23日: 男子復活に必要なものは、1988年ソウル大会の“あの熱さ”…久浦真一(スポーツ報知)
■5月16日: 語学を勉強し、人脈をつくり、国際感覚のある人材の育成を期待…柴田真宏(元朝日新聞)
■5月9日: もっと増やせないか、「フォール勝ち」…粟野仁雄(ジャーナリスト)
■5月2日: 閉会式で見たい、困難を乗り越えた選手の満面の笑みを!…矢内由美子(フリーライター)

 
 






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