日本レスリング協会公式サイト
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2020.07.26

【特集】激闘から半世紀以上の時を経て、今も指導に情熱を注ぐ小幡洋次郎さん(1964・68年オリンピック優勝)に聞く(上)

 レスリングで金メダル5個を取った56年前の東京オリンピック。その一人が、米国・オクラホマ州立大に留学していた小幡洋次郎さん(旧姓上武=フリースタイル57kg級)。初の国際大会にして表彰台の中央に昇り、4年後のメキシコ・オリンピックでも勝った。

77歳にして高校生選手を指導する小幡洋次郎さん

 日本男子でオリンピック2連覇は小幡さんただ一人。大学では3年連続で全米学生(NCAA)王者へ。1960年代のNCAAベストレスラーと言われる選手だった。

 1976年モントリオール・オリンピックでコーチを務めたあとは栃木・足利市でホテル業に専念し、日本協会の要職にはつかなかった。2009年に息子に経営を任せ、母校・館林高校のOB会長に就任してチームの強化に力を注いでいる。小幡さんに、現在の生活やレスリング界に思うことを聞いた。

 小幡洋次郎(おばた・ようじろう=旧姓上武)群馬県邑楽郡出身。群馬・館林高時代にインターハイ王者へ。早大に進学したあと、オクラホマ州立大に留学。1964年全米学生選手権を制し、同年の全日本選手権(東京オリンピック代表選考会)を勝ち抜いてフリースタイル57kg級の代表へ。本番では左肩を脱臼しながらも優勝。4年後の1968年メキシコ大会でも優勝し、現在までに日本男子で唯一のオリンピック連覇達成者。
 全米学生選手権は1966年まで連覇して3度優勝。58戦無敗の成績を残した。1972年ミュンヘン大会でコーチ、1976年モントリオール大会で監督を務めたあと、家業に専念。2005年に国際レスリング連盟(FILA=現UWW)の殿堂入りを果たした。

 ――1943年1月生まれですので、77歳ですね。今でもマットに上がっているとは、驚きです。

 小幡 ほとんどマットサイドに座っているだけですよ(笑)。

 ――亡くなられた方もいる1964年東京オリンピックの代表選手で、まだマットに立っているのは、お一人ではないでしょうか。やはりマットの上では、安らぎを感じますか?

 小幡 若い時、10年ちょっとレスリングに没頭してきたので、その習慣が抜けないんですね。レスリングを見ていると心が落ち着くというか、楽しい気持ちになります。

1964年東京オリンピックで金メダルを取った小幡さん(右端)=日本協会80年史より

 ――館林高校には、いつ頃からコーチとして来られるようになったのでしょうか。

 小幡 10年ちょっと前、65歳か66歳の時からです。OB会の会長に指名され、会長として何かしなければならないと思いました。我々の時は、OBがよく練習に来て、練習相手をしてくれたり、激励してくれたりしました。そこで、最低でも土日曜日は練習に参加しようと思っていましたが、指導する以上、責任が出てきます。そのうち、毎日来るようになり、朝練習にも来るようになりました。

 ――責任感のなせる業ですね。

 小幡 教員以外で正式に指導するには資格が必要ですが、県から正式に認めてもらえました。遠征にも帯同してよくなり、この10年間、遠征も含めてチームを見てきました。県立高校ですから、他県から強豪選手を引っ張ってくることはできない。入部した選手を、1勝でも2勝でも多く勝たせ、上へ行かせたい、という思いでやってきました。

工夫して練習して得たことは必ず身につく

 ――コロナウィルス拡大による休校もあり、約3ヶ月、練習できなかったわけですが、その間はどんな思いでしたでしょうか。

 小幡 寂しかったですね。それまでは、朝7時から8時まで朝練習につきあい、夕方3時半頃からのマット練習に参加する生活を毎日続けていました。それがなくなり、自粛生活がいつまで続くか分からなかったので、生活のリズムが狂ってしまいました。それではいけないと思い、ゴルフの練習を始めました。体を動かさないとならないんですね(笑)。同じくらいの年齢の人間と、下手は下手なりに練習をやりました。

2012年1月、ロンドン・オリンピックを目指す選手を激励する小幡さん=東京・味の素トレーニングセンター

 ――その期間、選手もチーム練習ができず、大変な時期だったと思います。米国では、レスリング・シーズンが終わるとチーム練習ができなくなると聞いています。状況は違いますが、個人で練習しなければならない、という状況で考えれば、同じ状況と言えないでしょうか。

 小幡 全米学生選手権が3月中旬に終わると、マットをしまい、約5ヶ月間、レスリング場には入れず、コーチはチームの指導をすることができません。ルールで決まっています。4月からは練習場所がなく、練習相手もいなくなるわけです。そこで、工夫して自主練習をしました。アメリカンフットボールの練習に加えてもらったりもしました。後で考えると、その時期に工夫して練習したことが、とても役に立ちましたね。

 ――練習できないことで、焦りはなかったのでしょうか。

 小幡 (米国の初年度は)日本では、東京オリンピックを目指す選手たちが必死になって練習している時期でした。焦りがなかったと言えば、うそになりますが、その時に工夫した練習は、しっかり実になっていたと思います。言われて、尻をたたかれて練習しても、ある程度は身につくでしょうが、さほど身につかないと思います。自分で考えて工夫してやったことは、100パーセント、身につくことを感じました。

 ――では、自粛を余儀なくされた約3ヶ月間、工夫して必死に練習した選手は伸びる、ということでしょうか。

 小幡 そう思います。自粛期間の前に選手にそのことも話しました。どこまでできたでしょうか。みんなしっかりやってくれたと信じています。

《続く》







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