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2020.07.31

【特集】セカンド・キャリアがスタート! 難病を克服した渡利璃穏さん(アイシン・エィ・ダブリュ)


 アスリートの引退後、すなわち“セカンド・キャリア”の問題は、スポーツ界全体の課題として、以前にも増して大きく存在している。華々しい活躍をした選手ほど、競技一筋の生活を送ってきたケースが多く、いざ社会に出てみると何をしていいのか分からない場合も少なくない。

選手生活にピリオドを打ち、第二の人生をスタートさせた渡利璃穏さん

 難病を克服し、自らの名前のつくリオデジャネイロ・オリンピックの舞台に立った渡利璃穏さん(わたり・りお=アイシン・エィ・ダブリュ)は、昨年限りでマット生活にピリオドを打ち、同社の社員として必死に奮戦している。所属は選手時代と同じ人事部だが、朝9時から午後6時までデスクワークの毎日だ。

 “28歳のOL1年生”は、電話の受け方とパソコンのマスターから始まった。「レスリングしかしていなかったので、(ビジネスに)必要な敬語も知らなかったんですね」。業務に必要なメールを送る場合も、友達同士のライン感覚の文章というわけにはいかない。周囲に「こんな文面でいいでしょうか?」と聞きながらの毎日。

 幸い、年下の先輩を含めて親切に指導してくれる人ばかり。オリンピック選手として特別扱いされることは? 「それは全くないです。その方がいいですね」と言う。

 OLとしてのデスクワークは初めての経験だが、渡利さんは高校の時、ほぼ全教科で「5」を取るなど、勉強はしっかりしていた選手だ。机に長時間向かうことは苦にはならない。「今の(人生の)目標は?」と聞くと、「仕事をしっかり覚えたいですね」と即答。オリンピアンなら後進の指導を目指すケースも多いが、今のところ指導者の道は考えていない。

■2008年7月29日:【特集】世界ジュニア選手権出場のホープは学業「オール5」…女子59kg級・渡利璃穏(愛知・至学館高)

闘病生活を経て、2018年の世界選手権へ出場

 体の異常が見つかったのは、2016年春、オリンピック出場を決めて燃えていた時だ。会社の健康診断のレントゲンで胸に影があり、再検査を受けたところ、腫瘍が見つかった。オリンピック後に精密検査を受けたところ、血液のがんの一種である「ホジキンリンパ腫」であることが判明。以後、闘病生活へ入った。

2018年全日本選抜選手権決勝、終了間際に逆転勝ちし、世界選手権の代表権を勝ち取った=撮影・矢吹建夫

 現代医学と多くの人の励ましで病魔を克服し、試合出場ができるようになったのが2018年春。全日本選抜選手権68kg級を勝ち抜いて10月の世界選手権(ハンガリー)の代表へ。地元のオリンピック出場も視野に入った。

■2018年6月1日:【特集】悪性リンパ腫(血液のがん)との闘いを乗り越え、渡利璃穏(アイシンAW)が世界へ再挑戦!

■2018年6月25日:【全日本選抜選手権・特集】悪性リンパ腫に打ち勝った不屈の選手が復活優勝!…女子68kg級・渡利璃穏(アイシン・エィ・ダブリュ)

 しかし昨年春ごろから、けがが多くなり、頑張りたい気持ちと体とにずれが生じてきた。「新しいけがではなく、前から痛めていたところなどです。体が完全に元に戻らないうちに復帰してしまったのかもしれません」。

 練習が思うようにできず、試合に臨んでも100パーセント勝てる、という気持ちが湧いてこない。優勝するには、国内では3~4試合は勝ち抜かなければならない。それが厳しいと感じた。世界なら4~5試合、場合によっては6試合を闘うことが必要。「国内の3試合がぎりぎりでは…」。世界最高の舞台で闘う厳しさを知っているだけに、自分の体がそこまで戻らないことも感じた。

最高に燃え、輝いたオリンピック・アジア予選

 体力の衰えは、選手ならだれもが感じること。「潮時」という気持ちと、「やめたくない」という気持ちとが激しくぶつかるのが普通だろう。渡利さんも、その衝突はあった。「絶対に勝てる、という自信がないのに試合に出るべきではない」「試合に出ることで、応援してくれる人に感謝の気持ちを伝える」という2つの気持ちが複雑に絡み合っていた。

 「最終的に決断したのは、勝てないのにマットに上がりたくない、というプライド?」との問いに、「それはあったと思います」と否定しなかった。「ボロボロな姿で終わりたくはない、という気持ちはありましたね」と続けた。

最高に燃えたオリンピック・アジア予選。リオデジャネイロで銀メダルを取った選手を破った=撮影・池田安祐美

 こうして選手生活にピリオドを打ち、会社と話し合った結果、今年1月1日からレスリングをする契約の嘱託社員から正社員へ。至学館大のある大府市から会社のある安城市まで、高校の時の通学以来という電車での通勤を始めた。

 63kg級の選手が75kg級に増量してまで出場したオリンピック。同級本命の皆川博恵(当時鈴木=クリナップ)が負傷せず、万全の状態だったら、「勝てなかったと思います」と言うから、運が大きな味方をしたオリンピック出場だった。

 ただ、オリンピック出場を実質的に決めた2016年3月のアジア予選(カザフスタン)は、強豪モンゴル選手のほか、決勝では、リオデジャネイロで銀メダルを取ることになる地元のグゼル・マニュロワを撃破する強さを見せている。自身のレスリング人生の中で「最高の時」だったと振り返ることからしても、前述の言葉は謙遜かもしれない。

壮絶な浮き沈みの経験が、これからの人生に役立つ!

 自動車業界は現在、「ガソリン車の廃止・電動化」「自動化」「コネクティッド」などの技術進化によって「100年に一度の大変革時代」と言われている。その流れもあり、アイシン・エィ・ダブリュは来年4月、アイシン精機と経営統合して新時代を迎える。コロナ禍で取り巻く状況はさらに厳しくなっている。「しっかりとやっていきたいと思います」と気を引き締める。

現役最後の大会となった2019年全日本選抜選手権=撮影・矢吹建夫

 セカンド・キャリアがうまくいかない元アスリートは、スポーツ一筋で社会人になるべく準備をしていなかった人ではなく、「選手時代の栄光を引きずり、プライドを捨てられず、気持ちを切り替えられない人」とも言われている。

 渡利さんは「アジア大会優勝(63kg級) → オリンピック出場ならず → 75kg級でオリンピック出場 → がんとの闘い → 復帰して日本代表へ」と、激しい浮き沈みを経験してきた。病魔との闘いは、過去の栄光が何の役にも立たない壮絶な闘いだった。それを克服した精神力なら、社会の厳しさに直面しても、しっかりとやってくれることだろう。

 渡利さんの新たな挑戦は、始まったばかりだ。







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