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2020.09.10

【特集】Jリーグでプロ魂を学び、レスリング界へエール…1988年の500日合宿を支えた野田哲由さん=日体大卒(上)


了徳寺大学(千葉・浦安市)でトレーナー学を教える野田哲由さん

 2012年ロンドン大会、2016年リオデジャネイロ大会と、オリンピック2大会連続で全競技の中で最多の金メダルを獲得したレスリング。さかのぼれば、1988年ソウル大会でも全競技で4個の金メダルの中、最多の2個を取って意地を見せていた(残りは柔道と水泳の各1)。

 この時は東京・青少年総合センターで約1年半に渡る全日本合宿、通称「500日合宿」を実施。国内代表を争う選手が“呉越同舟”で寝食をともにし、生き残りをかける壮絶な闘いがあった。その合宿所にトレーナー兼マネージャーとして寝泊りし、選手の闘いをつぶさに見てきたのが野田哲由さん。のちに、Jリーグのサンフレッチェ広島のトレーナーを務めるなどし、今は了徳寺大学の教授として活躍している。

 プロ野球と並ぶまでに成長したJリーグに身を置き、プロのトップ選手を見てきた野田さんの目には、今のレスリング界はどんなふうに映っているだろうか。ソウル・オリンピック前の激闘を振り返ってもらいつつ、レスリング界への提言を聞いた。


初の海外遠征で世界チャンピオン誕生に立ち会う

 サッカー出身。日体大でトレーナー学を勉強していた野田さんがレスリングに身を投じるきっかけとなったのが、全日本コーチだった同大学教授の山本郁栄さん(山本美憂選手らの父)からの誘い。1981年ころで、スポーツ界ではトレーナーやテーピングといったものの存在がさほど重要視されていない時期だった。

初の海外遠征で立ち会えた江藤正基さんの世界王座戴冠。前夜、忘れられないエピソードが…

 それが縁となって全日本チームの合宿に参加するようになったが、当初からトレーナーとして活躍していたわけではなく、「雑用が多かったですよ」と笑う。1984年ロザンセルス・オリンピックにも支援役員として現地へ向かい、早朝計量時代の選手の食事をサポートするなどしたが、「運転手と買い出し係でした」。

 初めての海外遠征は1983年にソ連・キエフ(現ウクライナ)で行われた世界選手権。グレコローマン57kg級で江藤正基(現JOCエリートアカデミー・コーチ)が優勝し、初の海外遠征で世界王者誕生に立ち会える幸運に恵まれた。この時は忘れられないエピソードがある。当時は3日間で1回戦~決勝を実施していたが(3日間の早朝計量)、決勝を翌日に控えて熟睡していた江藤さんを、野田さんが不注意で起こしてしまった。

 野田さんは真っ青になった。だが、江藤さんはそんなアクシデントをものともせずにソ連選手に快勝。世界一を勝ち取ってくれ、ホッと胸をなでおろした。後になって、「八田イズムですよね」と笑うが…(注=八田一朗会長は、緊張して寝られなくても勝てるように、睡眠不足の状況をつくって練習させることもあった。関連記事)。

ソウルを目指した500日合宿に“お目付役”として参加

 1986年、2年後のソウル・オリンピックへ向けて東京・代々木上原に全日本チームの常設合宿所がスタート。87年4月からはサウナも設置した青少年総合センターに移り、参加選手も多くなってトップ選手が一丸となる強化がスタートした。その合宿所のお目付け役として寝泊りしたのが野田さんだ。

1986年世界選手権に帯同した時の野田さん(左端)

 どの格闘技もそうだと思うが、トップ選手は我(が)が強く、わがままな部分を持っている。マットの上だけではなく、時に生活にも出てくる。そんな集団をまとめるのは大変だったと思われるが、「参加していた選手の大学間での上下関係がしっかりしていたこともあり、それほどではなかったです」と言う。

 年長の選手がまとめてくれることもあり、衝突の仲裁をした記憶は少ない。私生活が少し乱れている選手でも、「練習はしっかりやっていましたね」と言う。

 一番苦労したのは食事。レスリング選手のために普通とは別メニューの食事を用意してくれ、時間もある程度自由になったのはいいが、スポーツ選手の栄養学の知識が浸透していない時代。「2食で5000カロリー以上」という数字が独り歩きし、内容は問われなかったようだ。油ものが多く、そのうちに選手が食べなくなったという。

 通年合宿といっても、今の味の素トレーニングセンターのような常設マットがあったわけではない。朝練習を隣にある代々木公園でランニングなどをしたあと、午後のマットワークは日体大や日大、自衛隊などへ行っての練習だった。社会人の場合、当然、自分の母校に行くことが多いが、時に日体大OBが自衛隊に行くなどし、所属を超えた切磋琢磨が行われた。

だれもが自覚を持っており、締めつけは不要だった

 同じ階級のライバルがともに参加していたケースもある。グレコローマン48kg級の斉藤育造と大橋正教、フリースタイル68kg級の赤石光生と原喜彦(最終的に74kg級へ)…。相手の行動や練習内容を意識するらしく、片方がしっかりやると、片方の練習も熱が入っているのが手に取るように分かったという。

ルーマニア遠征での一コマ。後方左は、現在の西口茂樹・強化本部長=本人提供

 相手に分からないような時間に自主練習していた選手もいて、刺激し合うことで全体の競技力が上がり、それがソウル・オリンピックへの好成績につながったと感じている。

 味の素トレーニングセンターと違うところのひとつに、合宿所への出入りのセキュリティーが厳しくなかったことがある。時効だろうから明らかにするが、深夜まで飲み歩き、守衛の目を避けて裏の塀を乗り越え、中に入る門限破りは珍しいことではなかった。そんな時代だった。今、これをやったら問題になることは言うまでもない。

 「500日合宿と聞くと、選手を練習漬けにした、というイメージを持つかもしれません。そんなことはなかったです。けっこう自由にやらせ、ストレスも発散させていました。トップ選手が集まっていたことで激しい競争があり、だれもが自覚を持っていたので、締めつける必要はなかったです」。多くの所属の選手が競い合っていたそうで、それも競技力向上につながったと見ている。

 空気圧によるマッサージ機など最新のケア機器が導入されたのがこの頃。時代の先端を行く技術で体のケアをしたことも大きかったと感じた。スポーツ界にはびこっていた“根性主義”から脱却し、スポーツ医科学の重要性を導入して結果を出した点で、レスリングは日本スポーツ界に大きな役目を果たしたと言えよう。

《続く》







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